山の話、木の話

山の話木の話                      2012,2,16

私は生まれも育ちも千早赤阪村で、小さいながらも林業を家業とする家に生まれました。ですから山や木というものを生活の礎として育ちました。だいぶ以前、私が若かりし頃にログハウスを我が手で建てたことがありました。「WOODY HEART」という名の店で現在も金剛山登山口の近くでパスタの店として存在しております。そこで「山の話木の話」というテーマで私の身の回りでおこる事、知っている事を通信として出していたことがありました。それからかなりの時間が流れ時代も変わり私も年をとりましたが、今の立場で再びこのテーマに挑んでみたくなりました。
 まず千早赤阪村の林業の昔と今について述べたいと思います。千早赤阪村は50年ほど前千早村と赤阪村が合併してついた名ですが、林地葉主に旧千早村の金剛山の周辺に集中しております。吉野林系の河内林業として古くから銘木の]産地として知られております。山は山主によって管理され、昔は「山守制度」と言うものがあって、直接管理は山守と呼ばれる番頭が差配しておりました。山守の報酬いわゆる給料は微々たるものですが、伐採時に得た売上の何割かがボーナスとして渡され、それが楽しみで仕事に勤しんだといわれます。大山主は旦那さんと呼ばれ、地域の有力者であり金持ちでありました。昔は千早赤阪村もこのような旦那さんが多く住み金持ちの村と言われた時代もありました。
 今も当地は銘木の産地には違いありませんが、時代背景はがらりと変わりました。安い外材がどんどん輸入され、長引く不況で需要も減り、木材価格は暴落し一時期の五分の一とも十分の一とも言われおります。このような変化の中で、山林労働者は都会に流出し山主は気概をなくしました。山は荒廃し放置山林が増えております。
 しかしこのような状況の中にあっても頑張っておられる人は沢山おられます。山はいったん人の手が入り人工化されますと最後まで面倒を見なくてはなりません。自然というものは長年の摂理のなかで淘汰され、安定した状態に落ち着くものです。自然林とはそんなもので、それらを切り倒し杉桧を植林した時点で、安定はくずれます。人工化した山は常に手を加えねばなりません。草刈り間引き等をくりかえし行わねばなりません。でないと山は崩落し、多大な被害をおよばします。昨今台風被害のおおいのもこのような事が原因でもあるのです。確かに今、生業(なりわい)としての林業は存在しません。林業で生活していくのは難しいのですが、林業家の義務として責任として、山を守っている方は少なからずおられます。又、最近は地球温暖化等で国自体も林業に注目して、しろんな政策もなされるようになりました。こんな事も追い風にして、なんとかがんばっているというのが現状です。
 経済大国日本といえど国土の山林面積率は非常うに高く、人工林率はさらに高く。
、それらの広大な面積が数少ない林業家によって守られている事を、みなさんにも解っていただきたいと思います。